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「洋平、大丈夫か?」 「……!」 誰かの声が降りかかり、洋平ははっとして目を覚ますと薬品の匂いが鼻腔を擽った。ベッドの上にいて、腕に点滴注射が打ってあった。隣には泰寛=アクタスが心配そうな顔で立っている。そこは窓からカーテンレース越しに淡い夕陽が差し込む病棟の中だった。 「お、俺……」 洋平はいてもたってもいられない心境で上体を起こした。 「何か急いでたのか? 仕方ないさ。お前さん、相当無理してたみたいだからな」 状況を察したのか、やや渋い表情で言う泰寛。白いパーテーションの前で背凭れのない椅子に座り、カップに入った珈琲を飲んでいる。 「あああ、なんてこった……」 洋平は夕陽に赤く染まりながら頭を抱える。昼間に倒れて、今は夕方だ。あれから相当な時間が経っているのがわかる。 手を震わせて携帯PCを起動し確認すると、宮野から返信は届いていなかった。誰からのウィスも届いてはいない。洋平は全員に今の状況を教えてくれというウィスを出すが、届くどころか『メッセージが受信されませんでした』とエラーメッセージが出てしまった。これは、相手が携帯PCの電源を切っているか、それ自体が壊れているときに出るエラーメッセージだ。 (みんな、一体どうしたんだ……) 嫌な予感がする。後悔している暇はない。起きたことはもう仕方ないのだ。今すぐ仲間の元に行かなければならない。 「洋平、行きな」 泰寛が辺りを見回して洋平の腕を取り、点滴注射の針を抜くと白い歯を出して笑った。 「後はわしがなんとかする」 「泰寛さん、色々とすみません」 洋平は神妙な面持ちで泰寛に頭を下げ、ベッドを降りると側に立て掛けてあった【虚無】を取り、すぐに記号式を展開し始めた。 「シグヌム・トランスィティオ・グランディス」 言霊によってレベル二階級転送記号式【大転移】が完成し、目の前にいる泰寛の全身が折れるように歪んだ。 「……」 視界が一気に闇に包まれ、目を慣らすのに少し時間がかかった。疲れはまだ完全に取れていなくて、立ちくらみがして壁に背を預ける。洋平は【皇帝の墓】地下二九階の十字路まで瞬間移動していた。 通常、ダンジョン内部への直接転移は行わない。いきなりモンスターに囲まれる場合や、霊障壁の影響を受けて失敗する等の可能性があるからだ。だが、今はそんなことを気にしている状況ではなかった。 洋平はすぐに携帯PCを確認するが、周囲にはモンスターも人間の姿もなく、信じられないほどに静まり返っていた。【黒武者】や仲間はどこに消えたのか。洋平は何か手がかりを探そうと辺りを注意深く見回す。 「……!」 暗闇に目が慣れてきた頃、十字路の上辺りに何かが落ちているのがわかって、洋平はそこに歩み寄った。 (これは……) 誰かの携帯PCだ。拾い上げたが損傷が激しくて起動できず、誰のものなのか判別できない。その周辺では夥しい量の血痕が散らばっていた。この携帯PCは戦闘によって破壊されてしまったのだろうか。そして、この血痕は誰のものなのだろうか。疑問や不安が錯綜する中、洋平はMAPを見ながら十字路の上に向かって歩き出した。血の跡が上のほうまでしばらく続いていたのだ。この先に、つまり最下層にみんながいるのかもしれない。 (無事でいてくれ……) 洋平は拳を握り締める。あそこで倒れてしまったことが悔やまれるが、もう無事でいてくれることを信じるしかなかった。 最下層への階段を下りる頃には、血痕はなくなっていた。血の跡に気づいたのか、それともここで殺されたのかはわからない。【黒武者】に殺されるようなことがあれば骨となってコレクションにされてしまうだけだ。 「……!?」 最下層に到着してすぐ、洋平は誰かの気配を感じ、はっとして顔を上げる。遠くに人影があるのがわかる。『全てを切り刻む者』を転送させた小部屋の前だった。MAPでは、小部屋の中に点滅する黄色いマークがあり、その前に自分の緑色のマークが、そして人影のある地点にはなんの表示もなかった。 「誰だ……?」 「洋平……」 それは宮野だった。無表情でこちらにゆっくりと歩み寄ってくる。 「宮野!」 よかった。生きていた。洋平はその姿にほっとして近寄ろうとしたが、咄嗟に足を止めた。様々な疑問が急激に湧き上がってきたからだ。 「……宮野、【黒武者】はどうした? 他のみんなは? それに携帯PCはどうしたんだ?」 「それが、携帯は【黒武者】から逃げる際になくしてしまったのだ。みんな離れ離れになってしまった。まだやつはどこかで私たちを捜しているはずだ。一緒に仲間を見つけよう」 「……」 違う。宮野は【黒武者】なんて言わない。グラムオーガと呼んでいたはず。一転して笑顔で近寄ってくる宮野に対し、洋平はおもむろに【虚無】を構えた。 「洋平……?」 それで宮野から笑顔が消え、立ち止まる。 「私を【黒武者】だと疑っているのか?」 「……」 悲しげな表情を浮かべる宮野に、洋平はやや動揺する。自分たちに影響されて【黒武者】と呼び始めたのかもしれない。そこで洋平はとある質問をすることにした。 「……宮野、お前が本人だと確認するために質問がある。お前は過去に大切な人を殺されている。それは誰だ?」 「……」 少し間を置いて宮野がにやりと笑う。 「兄に決まっているだろう。これでわかったか?」 「……わかった」 洋平は、宮野が偽者だと確信した。 「お前は【黒武者】だ。笑顔でそんなことを言えるはずがない」 「……洋平、何を言っている? 私を信じろ」 宮野が眉をひそめ、小走りに洋平に近寄ってくる。洋平はそれを【虚無】で牽制しつつ、転送記号式を描き出した。今なら――霊障壁のない今なら――あの小部屋に転送させて相打ちをさせることができる。 「洋平……」 宮野が立ち止まり、その顔が、体が溶けるかのように崩れた。 『キリュウヨウヘイ……』 瞬く間に、宮野が【黒武者】へと変わっていく。こいつは、宮野の過去まで調べ上げていたのだ。 「く……」 洋平は記号式を中断し、後退りした。もう霊障壁は元に戻っているので術式は通用しない。 「洋平!」 【黒武者】の後ろから声が聞こえてきた。蒐次だ。体中に血の滲む布を巻いた斗賀野に肩を貸して姿を現した。その横には文香もいる。 「洋平さま、ご無事だったのですね!」 「遅かったじゃねえか。死んだと思ってたぜ」 二人とも安堵した様子で洋平を見ると、一転して厳しい表情で【黒武者】と対峙した。【黒武者】はどっちを狙うべきか見定めている様子で動かない。 「それはこっちの台詞だ。ウィスもなかったからな」 洋平は【黒武者】の様子を探りながら言う。 「悪いな。【黒武者】に見つからないように携帯PCを壊すしかなかったんだよ。やつは俺たちの場所を、それで確認してるのに宮野が気づいたんだ。その後、斗賀野が囮になってみんな散り散りになった。こいつは重傷を負ったが、上手くやつを巻いて俺たちのところまで帰ってきた」 「そうだったのか。宮野は?」 「それが……」 文香が下を向く。蒐次も無言で首を横に振った。 「まだ見つかってないのか……」 『オレガコロシタ』 「……な、何?」 洋平は【黒武者】の言葉に耳を疑った。 『クク……ミヤノハ、オレガコロシタ。ソノショウコは、コレダ』 【黒武者】は三椏の槍の先端にある髑髏を左手で指差し、笑った。 「嫌……」 文香が顔を背ける。 「く、て、てめえ……」 蒐次が目を剥いて【黒武者】を睨みつけた。 「……嘘だ……」 洋平は呆然と言った。まだ信じられなかった。 「何を……している」 それを言ったのは斗賀野だった。片目を瞑り、苦しげに顔をしかめているが、蒐次を振り払うと【黒武者】に向かってよろよろと歩き出した。 「俺がやる……」 斗賀野は掠れた声で言うも咳き込み、地面に片膝をついて項垂れた。顔は火傷だらけで腫れ上がり、とても酷い状態なのがわかる。もうあの傷では到底戦えそうにない。 (宮野……ごめん、ごめんな) 洋平は【虚無】のおかげですぐに落ち着くことができた。涙もなかった。それが宮野に申し訳なく思えて、彼女に心の中で謝った。でも彼女なら、気持ちの切り替えが重要だと言って笑って許してくれるはずだ。とにかくこれ以上、仲間を死なせるわけにはいかない。 「おい、【黒武者】! 来いよ! 俺が怖いのか!?」 洋平は笑みを浮かべると、大声で叫んだ。挑発することで、自分だけを狙うように仕向けるためだ。元々、何故か【黒武者】は自分に固執するところがある。転送記号式を唱えられる自分を先に殺すことは賢明だと考えるはずだ。 『ウォオオオオオオオッ!』 突如【黒武者】が断末魔のような大声を上げ、その後ろにいる蒐次と文香が呆然とした表情で固まってしまった。体中が振動するほどの雄叫びがしばらく続いた。【虚無】がなければ、自分も動けなくなっていただろう。 叫び終わった【黒武者】は両手で三椏の槍を構えると、洋平に向かってその巨体からは想像できないほどの物凄い速さで走り出した。 「……」 猛然と繰り出される否妻のような突きを、洋平は淡々とかわしていく。少しでもミスをすれば死ぬが、そんなことはまったく恐れなかった。ただひたすら、冷静にかわすことだけを考えていた。闇色に染まった心に恐怖は通じなかった。 「洋平、耐えてくれ! 文香、行くぞ!」 「はいですわ!」 雄叫びで固まっていた蒐次と文香が【黒武者】の背後に駆け寄る。 『……ムダダ』 【黒武者】は洋平を攻撃しつつも三椏の槍を巧みに軽々と扱い、回転させるようにして蒐次と文香の攻撃を受け流していた。 「……」 それでも、かわし続ければ、この状態が続けば相手の霊障壁も徐々に薄れてくるはずだ。そのときに術式を唱えられるように、洋平はできるだけ最低限の動きで相手の攻撃をかわしていた。 「……う」 だが、洋平は脳裏の片隅で嫌な予感も覚え始めていた。この化け物から放たれる、噎せ返るほどの異様な熱気だ。これのせいで、洋平は攻撃をかわしつつも既に体中が沸騰するほどに熱くなっていた。あの斗賀野があれだけの傷を負ったのも、この熱気で体力を削られていたからだろう。 (頼む、もう少し、もう少しだけもってくれ……) 洋平は頭がくらくらし、早く楽になりたいと体が願い始めているのに気づき、心の中でその言葉を何度も繰り返した。 『ククク……』 【黒武者】は笑っていた。 「こ、こいつ、笑ってやがる……」 「……私たち、勝てないんですの……?」 蒐次が目を剥き、文香が声を上擦らせる。二人は明らかに動揺していた。 「みんな、落ち着け! これは罠だ!」 余裕の笑みに聞こえたが、洋平は気にしなかった。いくら化け物とはいえ、疲れは絶対にあるはず。何故なら、【黒武者】は斗賀野を仕留められなかったからだ。アウラをあっさり殺したときの【黒武者】に比べると、動きが相当悪くなっているように思えた。それは余裕からではなく、単純に疲れからなのだ。実際、術式を使おうとはしていない。だからこの笑いは、まだ余裕があるように見せかけて相手を動揺させるための作戦に違いない。 「……」 そしてふと、【黒武者】は動きを止めた。洋平は後退りして、その様子を注意深く見守る。耳を澄ますと、化け物の荒々しい息遣いが微かに聞こえてきた。明らかに三人を相手にして疲れているのがわかる。蒐次と文香も揃って後退し、肩で息をしていた。彼らの体力もほぼ限界に達していたようだ。 (いけるか……?) 洋平は【虚無】で【黒武者】を牽制しつつ、ちらっと携帯PCを確認する。黄色のマークは明滅するスピードが遅くなっていたが、まだ駄目だ。この霊障壁の高さでは、術式が通用するレベルではない。 「……!」 次の瞬間、洋平は目を疑った。何を思ったのか、突如【黒武者】が宮野に姿を変えたからだ。 『洋平……』 宮野が笑顔で洋平に近づいてくる。 「洋平! 逃げろ!」 蒐次が叫んで【掌砕】を投げるも、宮野に化けた【黒武者】はまるで背中に目でもついているかのように首が折れるほど横に不自然に顔を捻ってかわした。その際も洋平に向けられた笑顔は消えなかった。 「洋平さま!」 「お前は行くな!」 文香が血相を変えて【涛波】を構え斬りかかろうとするが、蒐次が後ろからその肩を掴んで止める。洋平は蒐次に向かって頷いた。 無闇に飛び込めば危険なのは目に見えている。これも明らかな罠だ。【黒武者】は相手を動揺させるという狙いもあるだろうが、緩急もつけようとしているのではないか。膨大なプレッシャーに慣れた状態で戦うより、ぬるま湯の中で突然姿を変えてプレッシャーを与えることでチャンスを作ろうとしているのかもしれない。だが、逆に考えれば相手もそれだけ疲れているということだ。早く決着をつけるためにこの作戦を選んだに違いない。 「……」 そこで洋平はとある作戦を思いついた。こっちもそれを利用して逆に罠を張ればいいのだ。相手を油断させるために、もう体力が尽きて動けないという演技をする。その上で相手に悟られないように転送記号式の準備をする。 リスクはあるが、このまま緩急をつけられたら更に危険だ。やるしかない。 「く……」 敵を騙すにはまず味方からだ。洋平は虚ろな表情でがっくりと項垂れ、地面に両膝をつく。そしてそのまま地面に両手をつけ、土下座するような格好になり、微かに手を動かして【虚無】の切っ先で転送記号式を描き始めた。 『……』 【黒武者】がこちらにゆっくりと近づきつつ、やや怪訝そうに眉をひそめる。何か罠があると思ったのかもしれない。 「お、おい洋平! どうした!?」 蒐次が驚いた表情で叫ぶ。 「このままじゃやられますわ!」 文香が声を震わせて言い、蒐次が頷いてこちらに向かってきた。 「……」 焦った二人が背後から襲えば、【黒武者】はその姿を元に戻すだろう。そうなれば二人の命が危ない。だが、これはチャンスにもなる。洋平が顔を上げると、予想通り【黒武者】は二人を殺す機会だとばかり立ち止まっていた。緩急が狙いなら、二人が襲ってきた瞬間にその姿を変えるはずだ。なら、その前に転送記号式を使えば―― (今だ!) 洋平は彼らが近づく前に記号式を描き終わった。 「シグヌム・トランスィティオ・グランディス」 上体を起こし、囁くように言霊を唱え、レベル二階級転送記号式【大転移】が発動する。 「……!?」 洋平の表情が凍りつく。既に【黒武者】は元の姿に戻っていた。当然何も起こらない。作戦を完全に読まれていたのだ。 「くそ……」 洋平は唇を噛む。 『クク……』 【黒武者】の笑い声が辺りに響いた。蒐次と文香は、その姿が急に戻ったことで一瞬固まったが、すぐ側ではなかったことが幸いして【黒武者】の攻撃をかわし、後退していく。 「な、なんだ演技だったのか、驚かせやがって……」 蒐次が苦笑する。 「洋平さま、本当に大丈夫なのですか?」 「あ、ああ……」 文香の問いに、洋平は頷いてゆっくりと立ち上がった。だが、一瞬よろめきそうになる。確かにまだ大丈夫だが、術式によって体力を無駄に消耗してしまった。【黒武者】からしてみたら十分な成果だったはずだ。このままでは緩急など必要もなく、こちらの体力はもたないだろう。【黒武者】もそれがわかっているらしく、これが最後だとばかり猛然と洋平に向かってきた。 「……」 洋平は淡々と三椏の槍をかわしていく。だが朦朧とする意識の中、それがどんどんぶれて、分裂していくように見えてきた。 「ぐ!」 その一部が上腕部を掠め、洋平は目を剥いた。焼け付くように熱い。煙とともにそこから血がどくどくと流れ出てくる。 『ククク……』 【黒武者】は愉快そうに笑った。 (……だめ、だ……) 洋平はもう、呼吸さえも満足にできないほど疲れていた。 「に、逃げろ……」 洋平は握力がなくなり【虚無】を落とす。駄目だ。もう駄目だ。あの二人だけでも逃げられたらいい。洋平はもうほとんど目が見えなくなっていた。何も聞こえなくなっていた。呟く。蒐次たちに向かって呟く。本当に呟いたかどうかさえわからないが、必死に呟いた。 「……ぐが!」 腹に受けた衝撃で強制的に目がこじ開けられる。絶望はまだ終わってはいなかった。見ると、三椏の槍が深々と腹に突き刺さっていた。嫌だ。違う。俺はまだ死にたくない。こんなところで死にたくなんかない。自分さえ助けられない人間が、一体誰を助けられる。 「うぎいいい!」 洋平は白目をむき、歯が折れるほど食い縛って両手で槍を持つと、それを自分でさらに奥へと突き刺した。残った力を振り絞って、槍を腹に突き刺したまま大きく後退した。視界がかなりぼやけているが、【黒武者】がこちらに近づいているのがわかる。 「……洋平君……」 「え……?」 今、彩嶋の優しげな声が聞こえた気がして、洋平はいよいよ死が近いのだと感じた。 「まだ死んだらだめよ」 「……!?」 誰かが隣に立つのがわかった。洋平はその気配にはっとする。まさか……。 「シグヌム・アブロゴ・ディアボルス」 凛とした声が辺りに響き渡り、記号式が煌いて絡みつくように【黒武者】の体に張り付いていく。それによって、【黒武者】を纏っていた霊障壁がほぼ消失し、青い炎も消えていた。これはレベル四階級聖記号式【降魔】だ。相手の霊障壁を一時的にだが一気に弱めることができる。そしてこれを唱えられるのは、現時点では一人しか知らない。 「椛さん……?」 「話は後よ。早く準備しなさい」 ぼやけてはいるが、そこには確かに彩嶋がいた。あのとき死んではいなかったのだ。 「……」 洋平は腹に槍を突き刺したまま、ふらふらと立ち上がる。血は止まっていた。本来なら意識を失っていてもおかしくないが、彩嶋が処置してくれたのかもしれない。 『オオオオオオオッ!』 【黒武者】が怒り狂ったように叫び、巨体を揺らして洋平に向かって走り出した。洋平は【虚無】を彩嶋に渡され、準備していたが間に合いそうにない。 「……!」 【黒武者】が目睫に迫ったそのとき、横からその巨体に体当たりをしてきた男がいた。斗賀野だ。【黒武者】は斗賀野共々壁に勢いよくぶつかり、地面に倒れる。 「……やれ」 斗賀野は洋平に向かって呟くと、目を開けたまま失神した。洋平はその反動で座り込んでいたが、その気迫に応えたくて、すぐに立ち上がって術式を描き始めた。 「……シグヌ、ム」 記号式が完成し、洋平は言霊を唱えようとするが咳き込んでしまい、口の中に溜まった血を吐き出した。 『グヌヌ……』 【黒武者】はゆっくりと起き上がり、洋平に向かってよろよろと歩き出した。衝撃の影響で脳震盪でも起こしているようだ。 「……」 一瞬記憶が飛んだが、周りから声が上がり、洋平は周囲の思いを感じて、荒い息を吐きながら言霊を唱えた。 「トランスィティオ……グランディス」 『グオオオオオオッ!』 【黒武者】が大きく手を伸ばして洋平の腹に突き刺さった槍を掴むが、既に術式は完成していた。その黒い巨体が歪む中、それでも槍を放すまいとしていたが、やがて空気に飲み込まれるようにして槍とともにその姿が収縮していった。 「……」 洋平はその反動で勢いよく前に引っ張られるようにして倒れ、地面に頬をつけた状態になった。その瞬間、何かが爆発したかのような物凄い音がして目だけを動かしてその方向を向くと、『全てを切り刻む者』のいる小部屋の扉が物凄い勢いで開き、そのまま通路の壁に激突して粉々に砕け散っていた。 その中の光景が露になる。 『全てを切り刻む者』が【鬼哭】を振り回し、霊障壁の復活した【黒武者】の体を物凄いスピードで切り裂いていた。その三椏の槍が腹部を貫き、全身が激しく炎上しながらも、【黒武者】の体を一気にバラバラにしてしまった。その直後、『全てを切り刻む者』も燃えながらその場に倒れて動かなくなった。 (……終わった……これで終わったんだ……) 洋平は化け物の同士討ちを最後まで見届け、瞼を閉じた。 「……気がついた?」 「……あ」 気がつくと、洋平はまた病院のベッド上にいた。彩嶋、文香、蒐次、斗賀野の四人の姿が見える。部屋の端で壁に背を凭れてそっぽを向いている斗賀野以外、心配そうな顔で自分の顔を覗き込んでいた。 「……あれ。俺、死ななかったんですね」 見ると、窓の外は真っ暗だった。時計は深夜の二時を回っている。洋平は上体を起こそうとしたが、腹部に激痛が走り、思わず顔をしかめた。 「ほら、じっとしてなきゃ。折角手術、上手くいったんだから」 「はい……」 洋平は頷いて再び枕に頭をつけた。 「洋平、やったな」 「やりましたわね!」 蒐次と文香が笑いかけてくる。 「まあ、たいしたやつだ」 褒めるのが照れ臭いのか、斗賀野が顔を背けたまま宙を睨むようにして呟く。 「……」 だが、洋平は浮かない顔だった。確かに【黒武者】には勝った。みんなの力で勝つことができた。だが、彩嶋が生きていたとはいえ、最後の最後でまた仲間を、宮野を死なせてしまったのだ。そうでなくてもこの戦い、犠牲が多すぎた。 「洋平君、そう落ち込まないで。ところで、なんで私が生きていたかわかる?」 「……いえ」 「あれはね、確かにかなり苦しかったけど、死ぬまではいかなかった。つまり壮大な演技だったのよ。あなたがやったことと同じよ。敵を騙すには、まず味方からじゃないとね。あなたたちの中に【黒武者】がいることも想定していたから。私が死ねば相手も多少は油断するかもしれないって思ったのよ」 「なるほど……」 あの【黒武者】なら、彩嶋が生きていて、なおこちら側にいるとわかればそう簡単に近づいてこないはずだ。十戒隊随一の切れ者だとウォルクが言っていた理由がよくわかった。 「それと、お前に見せたいもんがあるんだ」 「ん……?」 洋平は蒐次がにやついているのを見て、眉をひそめた。 「プレゼントですわ」 文香が苦笑する。 「な、なんだっていうんだ?」 「……こほん」 「あ……」 白いレースのパーテーションを挟んだ横のベッドから咳払いが聞こえてきて、洋平は目を丸くした。 「ま、まさか……」 「そのまさかよ」 笑顔を浮かべた彩嶋によってレースが開かれる。そこにいるのは青い治療服を着て、頬を染めた宮野だった。 「み、宮野、どうして……」 「こいつ、地下二九階層の小部屋まで逃げたのはいいんだけど、扉を開けるので力使い果たしてそこで眠ってたんだとさ」 蒐次が呆れ顔で言った。 「……す、すまぬ。洋平。みなにも心配をかけた……」 宮野はばつが悪そうに下を向く。 「……そ、そうだったのか」 洋平は口元を引き攣らせて笑った。【黒武者】は確かに宮野を殺したと言っていたが、あれは自分たちを動揺させるための嘘だったのだ。 「……」 その瞬間、様々なことが洋平の脳裏をよぎる。碧坂や京子の死――。色んなことを犠牲にして得た勝利だった。喜びと悲しみと、複雑な感情が湧き上がり、洋平は思わず上を向いた。 |
Author:考兵
